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江戸風俗東錦絵 工藤祐経曽我十郎祐成をなだむる図
一勇斎国芳画 国立国会図書館所蔵
 
 江戸では享保(1716−36)ごろから、正月の初芝居には三座(中村座・市村座・森田座)とも、曽我物を上演する慣習がありました。
 源頼朝の重臣工藤祐経に父を討たれた曽我十郎と五郎の兄弟が、苦労を重ねて18年後に富士の裾野の巻狩で敵討をした史実を脚色した作品群を曽我物とよび、江戸の人々に人気がありました。

 
 歌舞伎でも多くの種類の曽我物があり、上の錦絵には、「工藤祐経曽我十郎祐成をなだむる図」と解説があります。登場人物は左から工藤左衛門祐経、年越の少将、大藤内成景、曽我十郎祐成、臼井与市季基、喜世川の亀鶴、越路の亀菊で、酒盃を口にする祐経の前には酒肴の入った重箱、串刺しらしい料理の見える深鉢があります。
 
 曽我物のもととなった史実としての敵討は、建久4年(1193)5月28日夜に、富士の裾野の巻狩の野営地で起こった事件で、十郎はその場で討たれ、五郎は捕えられて処刑されています。巻狩は狩場を四方から取り巻いて獣を追いつめて捕える狩猟の1種で、狩猟好きの頼朝はたびたび巻狩を行っています。事件が起こった巻狩の時には、12歳の嫡子頼家が鹿を射止め、喜んだ頼朝はその夜に酒宴を設けていますから鹿肉も料理されたことでしょう。当時の狩猟は権力者の武力の誇示や娯楽がおもな目的で、農業の害獣である鹿や猪を減らす効果があり、肉食が目的ではなかったといいますが、鎌倉時代は肉食も盛でした。
 4世紀余り後の寛永20年(1643)の『料理物語』には「獣の部」があり、延享3年(1746)の『黒白精味集』には、鹿肉を湯引して葱みそで食べる刺身、わさびみその鹿田楽、大根・牛蒡・葱を加えた鹿肉のみそ汁などがあり、肉食忌避の江戸時代にも、実際には獣肉食が盛だったようです。
 
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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